目に見えない視線
一日遅れですが 昨日の 朝のそっと後押し 今日の説法。
人の視線は何かと気になるものですから始まったお話です。
住職さんのお寺の近くに
小さな横断歩道があります。
皆さん、信号が赤でも平気で渡って行きます。
でも横断歩道の前に来ると 住職さんは周りの視線がとても気になられるそうです。
私一人だけ信号待ちで立って待っているのが恥ずかしく思われるのです。
ある暑い日、炎天下の中で日傘をさして待っている初老のご婦人に会いました。
周りの人は
この暑いのに・・という顔をして信号を無視して渡って行きます。
でも住職さんはそのご夫人の光景を尊いものに感じたんだそうです。
その方をここに留まらせているのは
お天道様が見ている
ご先祖様が見ている
仏様が見ている
というもう一つの視線なのではないかと思われたそうです。
そこに現代人が忘れかけた目に見えない視線に自分を照らして生きる人の
凛とした美しさを見る思いがしたそうです。
今、私たちは他人の視線や言葉に一喜一憂しています。
人間の心も価値観も時代とともに代わり、確かなものは何一つありません。
もしかしたら、永遠に代わらない確かなもの。それは
自分自身を問うことの出来る
目に見えない視線
にあるのかもしれませんね。
目に見えない視線はどんなとこにも存在します。
これぐらい・・誰も見てないし・・
誰かわからないから いいや・・ではなく
目に見えない視線こそ大事にしたいことではないかと思います。
PCの遠隔操作で迷惑な書き込みも解決の糸口が出てきた時代です。
大事なことは目に見えない・・本当にそうですね。
さて今日の弁当です。
いろいろ考えて盛り付けたつもりですが なんだか視線がバラバラの感じになりました。
一つの大きな目標に視線を集中させなくては・・。
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