「三和土」住まいのことのは手帳より
三つの何かが和して出来上がった土というわけだが とてもじゃないが読めない。
三つの何かとは赤土(砂利を含む)、石灰、にがり(苦汁)である。
これに水を加えて叩き固めると見事な土間ができ上がる。
叩いて固めるから「叩き土」を略したのがタタキの語源であるが「叩き」としないで「三和土」としたとこが憎い。
「三和土」は今も言葉として、生きていて玄関は三和土です。
なんて言うが実はコンクリートの土間だったりする。
「三和土」という言葉が一人歩きしてしまった一例だろう。
古い農家に行くと見事な土間がある。農家に限らず古い民家にも残っていることがある。
かつて関西の古い宿場町に出かけたところそんな三和土にであった。
三和土の良さはなんですかと聞いたら即座に答えが返ってきた。
「天気予報がいりません」どういうことかというと雨が近いと土間が湿ってきて色が変化する。それを見逃さなければ明日の天気がわかるということだ。
見事な自然との共生である。
考えてみると昔の人は花崗岩や安山岩などの風化した珪酸質の土に石灰と水を加えると化学反応で硬化することを知っていたわけだ。
恐らく漆喰で経験的にそのことを知っていいてそれを土間に応用したというのが真相だろう。
叩くという行為は教育上あまり歓迎されなくなったし、頭を叩くのはあまり感心しないけど土間を自然素材でつくるためにペッタンコ、ペッタンコと思い切り叩く(これを点圧という)のはストレス発散になって大歓迎だ。
「叩き上げ」といえば苦労を重ねて腕を磨き一人前になることだが間違えやすいのが「叩き大工」。
叩き上げの大工のことではない。
技の未熟な大工のこと、あるいはあまり技量を必要としない仕事をする大工のこと。
叩きと叩き上げるのではこうも違う。「三和土」は生半可な叩きでは完成しない。
叩き上げなければ本物の土間にはならない。
どうせ叩くなら自然素材と自然の化学現象を最大限利用して徹底的に叩くこと。
「三和土」の空間を前にするとそんな思いが浮かんでくる。
木山のぶ世さんが書かれた 住まいのことのは手帳より。
笑えるような話ではありますが確信を付いていますね。
本物になるには徹底的に・・生半可では転職すれば何もなりませんし 履歴に書くだけでは恥ずかしすぎます。
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