イブの過ごし方
Christmas・eveと言っても 特別な日と言う感じがないのですが
普段と変わっているのは
ただケーキを食べるぐらいでしょうか・・。
私たちの子供のころ
Christmasの楽しみと言えば
地区の部落ごとクリスマス会ぐらいでしょうか。
各家から ちょっとしたお菓子や 文房具などを持ち寄って
くじ引きでそれらを引き当てる。
大根やお酒もありました。
そんな質素なChristmasの思い出は 派手ではないけど
今 思い出すだけでも 集まっていた人たちの顔が浮かびます。
みんな 今ほど裕福でなかったころの話ですが
こんないい話もあります。
いい話の広場より。
クリスマスになると思い出す友達がいます。 小学校の3、4年生とクラスが同じだった、 K村君のことです。
ときは、昭和40年代の前半のことです。
そう、あの頃は、ほとんどの家庭が貧乏でした。 貧乏というか、物がないということが、 ごく普通の生活でした。
我が家もご多分に漏れず、 ズボンの膝やセーターの肘は継ぎはぎされていました。
今なら、「恥ずかしいよ」と言うところですが、 みんな一緒なので気にもなりません。
もちろん、コンビニもマックもない時代の話です。
そんな時代に、K村君の家庭は、 一層輪をかけて貧乏でした。
直接、話を聞いたことはありませんでしたが、 噂ではお父さんがいなくて、 お母さんが日雇いで働いてK村君育てていたようです。
こんなことがありました。 学校の秋の遠足での出来事です。
昼飯の時間になると、 それぞれ仲のいい同士が4、5人のグループを作って車座になります。
そして、当時流行っていたのは、お弁当の交換です。
サンドイッチなんてシャレたものを持ってくる女の子も クラスに一人か二人はいましたが、ほとんどがオニギリでした。
二個か三個持ってきたオニギリのうちの一つを交換するのです。
私は、たまたま、K村君のオニギリをもらいました。
さて、それを一口がぶりとして、 思わず吐き出しそうになってしまいました。
なんてまずいオニギリだったことか。 とにかく、お米がパサパサなのです。
そして、一粒一粒が硬くて、口の中でジャリジャリいっているのでした。
私の顔つきを見て、K村君は言いました。
「お母さんは、暗いうちに家を出て行くから、 夕べのうちに作ってくれたんだ。
それで硬くなっちゃったんだ」
そのころは、ラップもありません。
作り置きのオニギリは、時間が立ち過ぎると乾燥してしまうのです。
私は、「まずい」とも口に出せず、 とにかく全部を飲み込むようにして食べました。
子供ながらに、友達の家庭の事情を察して、 心が痛くなったものでした。
K村君のうちは、貧乏でしたが、 卑屈な奴ではありませんでした。
どちらかというとヤンチャでした。
たまにふざけて、教室の窓ガラスを割ってしまったりするので、 担任の女の先生からは、いつも睨まれていました。
そのせいでしょうか。
その遠足の時も、担任の先生は、 私たちのグループにやってきて 「おやつチェック」をしました。
遠足にもっていくおやつは、百円までと決められていました。
遠足の前日になると、みんなで工夫をこらして買い物に出かけます。
先生は、リュックサックからおやつを出させて、 予算をオーバーしていないかをチェックするのです。
順番に見て周り、K村君の番になりました。
リュックからは、袋物の駄菓子が山ほど出てきました。
僕らは、(へええ、大したものだなぁ)と感心しました。
彼は、駄菓子屋へ行き、量の多い袋詰めの駄菓子を 何種類も買い込んだのでした。
一つが十円か二十円なので、相当の量になります。
それを見た先生は、いきなり大声を上げて怒りました。
「こんなに滅茶苦茶買ってきて、 なんて子なの!」
K村君は、一つ一つの値段をきちんと説明しようとしましたが、 駄菓子屋なんて行ったことのない先生には信じてもらえませんでした。
僕らも一緒になって反論しましたが、聞く耳を持ちません。
K村君は、先生が去ったあとも悔し涙を流していました。
今では、信じられないことかもしれませんが、 エコヒイキや体罰をする先生なんて当り前。
そして、物が無くなると、 貧乏な家の子が疑われるのも当り前の時代だったのです。
K村君は、何事につけても、先生に目をつけられていました。
その年の暮れのことです。 K村君が言いました。
「僕んちでケーキを買ってくれるんだ。 クリスマスに遊びに来ないか」
と。 少しずつ、「豊かさ」が浸透しつつある時代でもありました。
家庭で食べるための、クリスマスケーキもよく売れていました。
子供たちにとっては、甘いものは貴重でした。
ケーキと言われては、ほっておけません。
みんなで、
「行く、行く!」
と大騒ぎしました。
初めてK村君の家を訪ねました。
その日もお母さんは仕事に出かけていて留守でした。
彼の家は、たった一間の板張りの部屋でした。
今から思うと、親戚か誰かの家の、 離れか何かを間借りしていたのでしょう。
ひょっとすると、納屋か物置だったかもしれません。
冷たい床の上に、5、6人で座りました。
K村君は、満面の笑顔でケーキの箱を運んできました。
みんなが、
「イエーイ」
と声を上げます。
彼が、箱のふたを開けました。
すると、・・・本当に、 本当に小さなケーキが座っていました。
そして、どうみても、美味しそうには思えませんでした。
箱には、製パン会社のシールが貼ってありました。
K村君の表情も少し曇りがちになりました。
ロウソクを立てて、火をつけて、みんなで吹き消します。
ロウソクを立てたために、小さな小さなケーキの表面は、 凸凹になってしまいました。
それでも、
「いいか、切るぞ」
と包丁を振りかざします。 誰かが、
「ちゃんと、みんな同じ大きさに切れよ」
と言いました。 お皿に乗せて、配ります。
フォークなんてありません。 手で持って、がぶりと食らいつきます。
口の中に、何やら、ベタッとした甘さが広がりました。
もちろん、生クリームではありません。 安価なバタークリームでした。
それが、固まって口の中でもなかなか溶けません。
どうお世辞を言おうにも、美味しいとは思えない代物でした。
全員が口に含んで、とうとう黙り込んでしまいました。
それでも、誰一人「まずい」 とは口にしませんでした。
それは、 K村君の気持ちをわかっていたからです。
クリスマスの日に、仲間の前で、 ちょっとだけでもいいからいい格好をしてみたい。
そのために、きっとお母さんに無理を言って、ケーキを買ってもらった。
お母さんは、息子のためにも相当に思い切って買ったのでしょう。
先生からは、いつも冷たくされているけれど、 一緒に遊んでくれる仲間がいる。
その仲間に、ほんのちょっとだけでもいいから、お礼がしたい。
それは、いつも一緒にいたから、 何も言わなくてもわかるのです。
誰かが言いました。
「公園行こう」
すると、また、誰かが言いました。
「野球やろう」 「いこう、いこう」
K村君の表情も急に明るくなりました。
「僕のバット、持ってくよ!」 「おう、貸しくれよな!」 「うん♪」
実は、そのケーキをどうしたか覚えていません。
最後まで残さず食べたのか。 そのまま置いて公園に出かけたのか。
でも、「公園行こう」 の一言で、気まずい雰囲気が、 パッと明るくなったことははっきりと覚えています。
まだ、9歳か10歳の子供でしたが、 大切なものが何なのか、みんな知っていました。
物は溢れていませんでしたが、 心は豊かでした。
その公園は、少し整備されてキレイになりましたが、 今でも子供たちの遊び場になっています。
K村君の住んでいた家は、今ではコンビニが建ち、 24時間煌々と灯りが点いています。
クリスマスが来るたび、K村君のことを思い出します。
彼はこの聖夜の星の下、どこで何をしているのかな。
間違いないのは、私と同じ、 いいオジサンになっていることです。
メリー・クリスマス♪
大切なものは何??
足りないものも多々あるけど
慎ましく小さなケーキを食べれることの幸せ・・
静かなeveの夜に
幸せをかみしめて・・。
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