いただきます。
29日の今朝の説法は日蓮宗 経王寺 ご住職のお話でした。
今まで色んなお坊さんたちが「いただきます」と、いう言葉についてお話してきましたが
何度も同じテーマが出るのは忘れないで欲しい・・それだけ大事なことだからです。
「いただきます」はあなたの命をいただき、私の命の糧にしますという意味です。
やさしい話ではありません。
私が昨日食べた、ご飯 も 魚 も 野菜 も 肉 も
全部、私の体の一部になっているのです。
色々な命が私の中で生きています。
こしひかり も あじ も 黒部和牛 も
みんな体の中で生きています。
だから、私の命は私のものであって、私のものではありません。
私を活かしている多くの命たちのものです。
大自然と私は一体 私の中に宇宙があるのです。
「いただきます」
は他の命をいただくことであり
多くの命たちと、これから一緒にずっと生きていくという
誓いの言葉でもあります。
他の命をいただいて生きていく目的は
仏の修行を完成するためです。
そのために命をいただくのですから
責任重大!
いただきます と言った以上
仏に成ることをあきらめない覚悟が必要です。
食べ物だけじゃありません。
言葉も同じです。
仏さまの言葉を
いただきました
と言うのなら、
仏さまになれるような生き方をしなくちゃね!
と、締めくくられました。
飽食の時代の中で これは食べなくても あれがある。
あれだけ食べていればいい・・と、自分だけの考えの時もありましたが
「命をいただく」意味・・とても深く広いのだと感じました。
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