謙虚な気持ち
月曜から木曜の早朝 そっと後押し今日の説法があります。
朝の弁当造りを終え この説法を聞くのが楽しみです。
長い人生を振り返ると たくさんの失敗や恥ずかしい思いをしました。
そんな失敗談とこの説法が重なって とても心に残るものになってくるのですが
先日は「謙虚な気持ち」を説かれていました。
人に法を説く
実はこれほど仏を恐れない行いはないかもしれません。
正直に告白します。
私はご覧の通り、悟りを開いてはいません。
今後成仏できるか、その見通しは果てしなく暗い。
つまり私は未だ体験したことのない悟りの境地を
訳知り顔で語っている訳です。
僧侶に成り立ての頃、深く学ぶほどに仏法に対して謙虚になり
軽々に断定的な物言いができなくなるとか
長く修行をしていると、自分の未熟さが身に沁みて
他人に教えを説くことに恐縮すると教えられたことがあります。
学問や修業、あるいはどの職業でもそうだと思いますが
何かに真剣に打ち込み、その奥深さに触れると
人は己の知見を語ることに慎重になるのかもしれません。
いたずらに能弁だったり高圧的な話し方をする人に限って
実は中身が薄っぺらだったりするものです。
悟っていない私には、耳が痛いですが
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな
(人格者ほど相手に対して謙虚である)
とも言います。
およそ、人が他者に何かを教え示すときは
いちがいには言えないけれど、こういう見方もあるよ
という謙虚さがあるべきでしょう。・・というものでした。
主人は永く建築・・家造りをしてきましたが
未だに まだまだ・・と、言います。
でも最近大工になりたての人であまり経験を重ねてない人でも
自分は大工ですと言われます。
大工ならどんな仕事でもできるはずですが 難しい階段や床の間はできなかったり・・
それでも大工です。
ただこのような人に限って 長続きはしていないようです。
最近は 自分をアピールしなさい・・的なことを言われますが
私たちの世代は 黙って仕事・・の世代なのでなかなかできません。
ただそんな私たちを選んで 信じてくださる・・
一生に一度の大事な大仕事を任せてくださるお客様がいらっしゃる事を嬉しく思いますし
裏切れません。
まだまだ人様に教えを説く程の人間ではありませんが
謙虚な気持ち・・いつの時代も忘れないでいたいと私たちは思います。
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