セピア色の思い出
ねこまるさんのブログ(http://neko-maru.seesaa.net/)はいつも懐かしいことばかりです。
コメントより・・・
ねこまるが育った商店街は昭和30年代頃は、皆お店の2階に住んでいました。
夕方になると食事の準備をしながらお店番です。 どこからともなく醤油のこげる匂い。
「こげよるよ~~~」と、声が上がります。
隣のおかずを交換し合って食卓を囲みます。
昭和の匂いですね 。
最近は、子供さんの塾通いで家族が全員そろって食事をすることが出来なくなっているようですが(塾からの帰宅が21時以降になるから)、
うちの姉は「3人しかいない家族だから」と
息子の塾帰りを待って食事の用意をしているようです。
お酒もお預け。
22時の夕食です。
・・・とても いいコメントであったかな家族を感じるものでした。
私が育ったとこはねこまるさんほど街中ではなく
半農半漁の小さな村でしたが
夕方には
『これを作ったから』
と、隣のおばさんがもってきてくれたり
我が家の夕食時間には父はご飯ではなく近所の人が集まり
お酒を飲んでは夜遅くまで隣近所の人が集まっては話していた記憶があります。
隣のお兄ちゃんも兄妹のように
怖いおじさんも悪いことをすれば 叱ってくれていましたが
本当は優しく 次の日にはけろっとしてお菓子をくれたり・・。
最近は家族単位になりこのようなことも滅多にありませんが
ねこまるさんがセピア色の思い出を思い出させてくれました。
核家族で 子供も少なくなりましたが
少なくなった分
家族のかたちも多様化してきています。
だた あのころを知っている私たちは
合理化よりも 人情だったのではないかと思います。
そして家族のかたちは変わっても
この家族から育って この家族に帰ってくる
・・そんな基本を忘れずにいようと思います。
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